頭痛のときにばあちゃんを思い出す。という話し。

ここ数日、頭痛が続いていた。

 

僕は体質的に体調が悪化すると全て頭痛に変換されるようにできているらしく、風邪をひいたりすると熱が出る代わりにひどい頭痛になる。

不思議なことに、家族の中でこんな体質なのは僕だけだった。

 

ここ数日も頭痛になり、薬があまり効かずにぼんやりとしていたら

なぜか父方のばあちゃんのことが頭に浮かんでいた。

 

 

【父親とばあちゃんのこと】

僕は父親と11才の時以来、会っていなかった。

ばあちゃんとは8才くらいからずっと会えていなかった。

 

父親の家庭内暴力が激しくて、ばあちゃんも、母も僕たちきょうだいも、命の危険を感じて家を出たのだ。

 

それから僕らきょうだいは児童養護施設で生活することになった。

僕が中学生になる時に、母が僕らきょうだいを全員引き取り、それからは母の手ひとつで僕らを育て上げてくれた。

 

僕が大人になり、30歳近くになった頃に父が亡くなったという知らせを受けた。

父は孤独死だった。

死後かなり時間が経ってからの発見だったらしく、白骨化していたらしい。

 

父は亡くなるまで借金をたくさんこさえており、親戚が「相続放棄をした方がいい」ということで、わざわざ僕を見つけ出して連絡をくれたのだ。

 

父が亡くなったことをきっかけに、父方のばあちゃんに久しぶりに会うことができた。

 

 

【ばあちゃんっ子の僕とモンスターだった父】

僕は小さい頃からばあちゃんっ子だった。

ばあちゃんも初孫の僕をとても可愛がってくれていたので、お互いに再会できたことをとても喜んだ。

 

ばあちゃんは「会えなくなってから1日も忘れたことはなかったよ」と言ってくれた。ちょっと涙が出た。

 

それからばあちゃんとは、年に1回くらいのペースで会うことができた。

ばあちゃんと何かの話をしていた時に、ふとばあちゃんの体質の話になった。

ばあちゃんは体が丈夫で一度も熱が出たことがない。体調が悪くなると代わりに頭痛になると言っていた。

「僕と一緒だ」と思った。

ばあちゃんの体質は、しっかりと僕に受け継がれていたのだ。

 

僕の家族は、僕が3歳くらいの頃に埼玉県から父の実家の福島県の田舎町に引っ越した。

 

僕はいつもばあちゃんと一緒だった。

ばあちゃんが畑仕事をする時も、台所にいる時も、買い物する時も、お風呂も、寝るのも一緒だった。

ばあちゃんは車の免許を持っていなかったので、移動は原付のスーパーカブだった。

幼い僕を背中に縛り付けて、いろんなところに連れて行ってくれた。

原付の荷台で両足を踏ん張り、ばあちゃんの背中にしがみきながら眺めた田園風景や風の感触は、今でもはっきりと覚えている。

 

大人になった僕がバイク好きになったのは、この原体験があったからかもしれない。

 

そんなばあちゃんは、5年ほど前に蜘蛛膜下出血で倒れ、しばらくして天国へ逝った。

コロナ禍だったので病床での面会ができず、別れの挨拶が言えなかったのが今でも心残りだ。

 

生前、ばあちゃんの言葉で印象的だったものがある。

「お前の父ちゃんが死んでくれてほっとしたんだよ。本当に恐ろしかったもの...」

僕の父は、実の母であるばあちゃんを殺そうとしたことがある。

 

それがきっかけで父は警察の厄介になり、しばらくの間精神病院に入院していた。

ばあちゃんは実家で暮らすことができなくなり、遠く離れた場所で生活するようになったのだ。

 

ばあちゃんが産んだ子は、どうしてモンスターになってしまったのだろう。

どうして親を殺そうとしたのだろう。

 

 

【ばあちゃんの功罪】

僕の大好きだったばあちゃんは、父にとっては憎むべき親だった。

「長男だから家を継げ」「大学なんか行く必要ない」と言われ、将来を選択できなかったことを父はずっと恨んでいたらしい。

その上、田舎の風習で長男だけは待遇を良くするという兄弟間で理不尽な格差をつける教育をしていた。

 

僕が知っている断片的な情報だけでは測れないけれど、後継としての役割を常に押し付けられる環境で育ち、本人の意思は否定され続けたのだと思う。

 

性格が歪むのは当然のような気がする。

 

そのくせばあちゃんは好き勝手に生きる人だった。

相互監視と噂話が支配する片田舎の町で、堂々と不倫をしていたらしい。

 

幼い僕はばあちゃんに連れられて、町で唯一の喫茶店によく通っていた記憶がある。

そこでいつも会っていた優しいおじちゃんが、ばあちゃんの不倫相手だったと知ったのはかなり後になってからのことだった。

 

父は、そんなばあちゃんにずっと反発していた。

学生時代から腕っぷしが強く、困ったことがあればなんでも恫喝や暴力で解決していた。

いつの時期かわからないが、暴力団員だったこともあったらしい。

 

 

【負の連鎖はどこから】

歪んだ養育環境で純粋培養されたようなモンスターが誕生し、母殺しをしようとするという、なんとも古典的な悲劇が生まれてしまった。

 

そんなモンスターを育てたばあちゃんは一体どんな環境で育ったのだろうか。

今となっては本人に聞くこともできない。

 

おそらく、自分が育てたように育てられたのだと思う。

ばあちゃんは後継ではなかったし女だったから、きっとひどい格差のある扱いを受けたのだろう。

時代や地域がらそれが当たり前だったのだ。

 

将来を選択できないまま、自分の意思を聞いてもらうこともなく、たくさんの我慢や理不尽の中で生き、決められた人と結婚し、子どもを産み役割を果たした。

 

だから、決められた人との結婚以外に、せめてもの自分の幸せを求めて不倫をしてしまったのではないだろうか。

ばあちゃんに関して僕が知っていることはほとんどないけれど、ばあちゃんの苦しみは計り知れない。

 

今、日本中で児童虐待が問題になっているが、元を辿ればきっと僕のばあちゃんや父と同じような構図があるような気がしてならない。

 

 

【負の連鎖は断たれたのか】

僕は子どもの頃から「将来は絶対に結婚しない」という思いがあり、周りにも言っていた。

今もそれほど強い思いはなけれど、結婚したいと思ったことがない。

きっと子どもながらに、幸せなロールモデルがなかったんだと思う。

 

そんな僕とは対照的に僕のきょうだいは全員結婚している。

子どものいる家庭も多く、家族みんながお互いを思い合い、とても幸せそうに見える。

 

というかその前に、僕たちきょうだいは全員仲がいい。

母親が僕たちにたっぷりと愛情をかけてくれたからだと思う。

 

負の連鎖は断たれたのだろうか。

 

答えはまだわからない。

甥っ子たちが成長した時に、自分たちの養育環境を振り返り、答えを教えてくれるだろう。

 

 

ばあちゃんの生き様を見て思うことがある。

生まれた瞬間から役割を押し付けられる時代じゃないということが、どれほど幸福なことか。

 

今を生きる僕たちは、自分の人生を自分の意思で選択できる。

こんなに幸せで大切なことは、他にないのかもしれない。

 

先代が経験したたくさんの苦しみと負の連鎖から、僕たちは学び活かすことができる。

 

僕が自分の家族の負の歴史について考えたり、発信したり、

負の連鎖を断つための何らかのアクションを起こしていくことこそが

ばあちゃんや父親の供養になるのかもしれない。

 

 

写真は僕のきょうだいの昔と今。昔と変わらず今でも仲良し。